つらい時は逃げても良いという風潮について
つらいときは逃げてもいい
なぜか大物ユーチューバーや芸能人とかの有名人が口を揃えたかのようにこれを言うのはなぜだろうか?
ぶちると単なる好感度アップ狙いなだけです、基本的に社会的に成功しているような人しかそんなことは言ってません。
それどころか逃げた方が絶対に成功するとか根拠もない話を広めて稼いでいる方もいます。
ここでちょっとだけ考えてみてほしい。
貧乏で食うのにも困ってる人が「嫌なことから逃げる」を本気で実行したらどうなるのでしょうか?
生活費すらない人が「つらいから仕事やめた」ではどうなるのか考えるまでもないですよね。
生活保護だのは日本人で労働経験有だと基本的にもらえません、普通に借金を申し込まされます。
病気ならもらえるとかメディア鵜呑みにしすぎです(ただし地域によって基準は違う)
話それましたが、要するに
「自分とは何ら関係がない人」
に対しての言葉なのです。
仮にですがヒ○キン氏が「もうユーチューバー嫌だやめる」とか本気で言い出したとします。
「ばかじゃね」「やめてどうすんだ」
とかありきたりの言葉しか返ってこないはずです。
ヒ○キンがいくらやめたくても周りのスポンサーだのファンはやめられたら困るのです
それを踏まえた上で自分の身内が「嫌だからやめる」を言い出したらどうしますか?
メディアで取り上げられるニート生活だのは家庭がかなり裕福な方限定です。
成人1人完全に養うのに大体年間200万はかかります(半分近くは税金)
平均程度の年収の家庭では1人でもニートなんか出したら一家破綻します。
だからほとんどの家庭では家族が「嫌だからやめる」とか言い出したら
「ばかじゃね」「やめてどうすんだ」
しか言えないのです、やめられたら自分が困るから。
自分の子供が仮に「大学つらいからやめる」とか言い出してもまともに取り合
う親などいないでしょう。
これを親と子供で逆に考えてみると
「仕事つらくてやめるから学校の金はもう出せない」
と言われた子供の方は
「つらいからやめるって何それ馬鹿なの氏ねば?」
と取り合わないでしょう、要するにお互い様なんです。
自分の結論としては
「どんなにつらくても逃げてはいけない」
なのかと言われると必ずしもそうではない場合もある。
例外の一つは「義務教育期間」ですね、義務教育なのでそこに「自分の意思」はありません。
まあ義務とは言ってますが実際全く通わなくても何らかのペナルティ等が課せられるわけではありません。
そもそも自分の意思で決めたわけでもないのだから嫌なら行かなければいいのです。
ただし
「学校嫌なんだけどどうすれば良い」
とかわざわざ親の意見を聞く程度の気持ちならおとなしく学校へ行きましょう。
そもそもそんなこと言われて行かなくて良いよなんて言う親はほぼ皆無です。
「もう学校なんか行かない」
だけで良いです、いちいち理由とか説明する必要性はありません。
親が許さないから行くというのであれば親のために学校へ行けばいいでしょう。
○学生でホームレスまがいの生活してた人とか普通に日本にもたくさんいます。
1週間も外で寝てみてください、学校でいじめられてつらいとかそんなことあほらしく思えますよw
ただし高校大学就職は別です、これは義務ではないので「自分で選択」したものです。
いや親に無理矢理決められたんだとか本気で言い出すような方は親の敷いたレールを一生外れない方が良いかと思います。
他にやりたいことがあるという理由なら別にすぐにやめてもいいですけど、そういう話ではなくただ単に「つらくて嫌だから逃げ出しても良い」という話ですよね。
はっきり言いますがそれは所謂
「カンフル剤」
にしかなりません。
別にカンフル剤は悪くないです、一時的には落ち着きますのでその後良い方向に向かう可能性もありえます。
しかしどんな人でも一度投げ出した事を二度目は投げ出さないなんて別人格にでもならなければあり得ません。
人間の本質というものは生まれつきもう変わることはないです、まあ仮面を被って外面はごまかすことは可能ではありますが。
たしかに一時的には絶対に楽になりますのでつらくて逃げ出した時は救われた気になるでしょう、しかし
「つらかったらやめりゃ良いんだ」
となってしまった方がこれから先キツい事柄があったとき全力で頑張って乗り切ろうとするでしょうか?
ここからは仕事上での話ということに焦点を絞らせていただきますが。
自分は意識してなくても、つらくて苦しい事を最初から避けるような態度やら姿勢で仕事してたら、他人が見ればそういうのは必ずわかるというかばれます。
結果どこへ行っても雑な扱いをされ、自分でも気付かないうちに「無能」のレッテルを貼られてる可能性が高いです。
そうなると「なんかもう嫌だからやめればいいや」と当然のごとく投げ出すに決まってます。
実際自分が雇う方だったらそんなすぐにポンポン投げ出すような人を雇いますかね?
「学生時代は最後までずっとピンポンを続けました」という人がいたらそっちを選びますよね。
絶対嫌になることなんか一つも無いという前提の会社でも探すしかないです。
結局はやめるなと言いたいのかと言われれば基本的にその通りですが、条件が付けられるなら別です。
つらいときはやめよう逃げだそうと、有名人が言ってるから良い事っぽく聞こえますが結果的に見れば逃げ出しても一つもプラスになる要素なんかないです。
自分付けたい条件というのはそのやめるときのやめ方ですね、つらいからやめるというのもまあそれはそれで良いとします。
が、ほとんどの人はやめるのにも関わらず、なるべく後を濁さないように気を遣った上で消えてしまう方がほとんどのようです。
どうせやめてしまえば二度と会うこともない方々です、そんな人たちにすら自分を出さないで気を遣ってやめるのであれば、絶対に一生無能のままで終わります。
言いたいことをきっちり相手にぶつけた上でならやめてもおk
やめる前に3分でも良い、みんな集めてその場の思いつきでもいいから嫌だったことを自分の口できっちり話しましょう、むしろキレるぐらいでも良いです。
あれがおかしい
コレがおかしい
おまえもおかしい
何でも良いからとにかく不満だったことをきっちり言いましょう。
それがちゃんとできるなら、嫌でやめたとしても先々問題無いのかなと個人的には
思っております。
「なんでわざわざ後を濁さなきゃいけないんだ」
「黙ってやめた方がお互いに良いに決まってる」
「後々なんらかの付き合いがあるかもしれないから印象良くやめる」
と思うならそれはそれで好きにすればいと思います。
あくまでも私個人がそういう考え方は完全に無意味で、そういう人も無能のままだと思ってるだけの話なので。
なんだかまとまりのない話になってしまいましたが、自分の結論としましては
「学校やら仕事から逃げられるなら逃げれば良い」ただし
「嫌なら嫌でそれをきっちり態度なり言葉で形にしろ」
といった結論になるのかと思います。
あくまで自身の経験上ですが
自分自身にも向き合わずただ単に逃げるだけならそれは一生癖としてついて回ります
最後まで見てくれたあなたはただ逃げるのではなく戦術的撤退を選んでくれるはず。